せっかくの先輩との時間。部活や寮の用事で忙しい中、わたしのために確保されたとっても貴重で尊い時間。
それなのに、わたしときたらレポートと向き合う羽目になっている。もとを辿ればグリムが魔法解析学で騒動を起こしたことが原因で、わたし自身は悪くないのに。まあたしかに?監督不行き届きと言われてしまえば、わたしの在籍理由としては、結果悪いことをしたことになるのかもしれないけれども。それでも、このたったの二時間しか無いふたりきりの時間を心底楽しみにしていたわたしにはあんまりの仕打ちじゃないだろうか。
「……」
カリカリとペンが走る音が響く中、頭の中は悪態がひしめいていた。
あと少し、もう少しで終わる。気合を入れ直すために、少しくらいご褒美を前払いしてもらってもいいだろうか。ちらりと横目で盗み見たソファーの上。肩幅程度に足を開いて腰を掛けたトレイ先輩は、自身の両膝にそれぞれの肘をつけて上体を倒して読書に耽っていた。きちっと角が揃った紙のカバーが巻かれているのがなんとも彼らしい。でもそのおかげでタイトルはわからない。カバーが巻かれていなくても本の表紙を覆ってしまう大きな手がタイトルを確認することを阻むのだろう。彼がどんな世界に浸っているのか察することができず、ちょっぴり寂しい。
残念だけど、彼の様子を瞳に焼き付けて、もう一踏ん張り課題を頑張ろうとペンを握り直した。不意に、文字をたどって左右に流れていた理知的な瞳が、わたしを捉える。思考すらも捕縛する、やわらかなハニーゴールド。脳が痺れる感覚がじんわりと広がる。
「ん? 終わったのか?」
「あ、えっと。もう少し」
「ん、頑張れ」
細められた目はやさしくて、ちょろいわたしのピョンと心臓が跳ねた。
文字を追うことに夢中になっていた彼が、世界から抜け出してわたしに興味を持ってくれたことが嬉しくて、大きく頭を下げて頷いた。その様子を見ていたトレイ先輩は、ゆるく頬を綻ばせたと思えば伸びてきた手がくしゃりと髪を撫でる。大きな手のひらが頭の曲線を辿って、本のもとへと戻っていたのが悔しい。
「すぐ終わらせます!」
「終わったらお茶にしような」
そう甘く告げた彼の視線はあっという間に本の文字へと戻っていた。だけどわたしは気づいてしまった。彼の視線が左右に動いていないことに。
悔しさも、寂しさも凌駕する胸のときめき。これを原動力にさっさとレポートを片付けて、彼に構ってもらおうと気合を入れ直した。