「先輩」
「なに?」
単語の数だけで認識すれば、随分と素っ気ない返事。だけど実際には、驚くほどにやさしい響きで鼓膜を羽で撫でるような声が返ってくる。
「見すぎです」
「あー、ごめん。つい」
先輩が気にしすぎないように、指摘する声には彼と同じくらいの温度感を持たせた。それでも細い眉をきゅっと寄せて、気まずそうに視線が外れる。宙を迷うそれはさながら迷子のようで、ちょっぴり申し訳ない気持ちになってしまう。
「監督生氏がさ、彼女だなんて。フヒ、拙者浮かれてるかも」
視線は迷子のまま、先輩の部屋だというのにわたしより小さくなってしまった。先輩は色が白いから、頬が高揚するのがすぐにわかるところがとてもかわいいと思った。その間も先輩は丈の長い袖からちょこんとでた指先をもじもじと落ち着きなさそうに動かしながら、わたしには視線を向けない。
指摘したことをちょっとだけ後悔する。その黄金色に輝く瞳をわたしに向けてほしいなんて、欲張りかな。
「先輩が告白してきたのに?」
「僕から言ったからって、付き合えるとは限らなくない?」
ほんの数秒前まで迷子だったのに、突然標的をわたしに定めた視線は鋭く突き刺さる。理智的な視線は議題について論じることを楽しむときの先輩の色をしている。どちらかといえばコミュニケーションに分類されるような内容であっても、自身の意見で相手の意見を覆すことを討論として楽しんでしまえるのはある種の才能だと思う。そして彼の楽しみの相手になれることを嬉しく思った。
「先輩は勝ち確定じゃない勝負はしなさそうだから」
「そりゃまあ? 勝算をあげるのは当然ですけど? とはいえ、人の気持ちを百パーセントコントロールできるわけないじゃん」
ふふん、と鼻を高くして嬉しそう。そんな先輩を見ているだけでわたしまで愉快な気持ちが広がっていくのは、わたしもきっと浮かれているから。
「勝算あげてたんだ」
「……まあね」
「勝っちゃったんだ」
「そうだよ! さすが拙者! 無数の恋愛シュミレーションゲームを制覇してきただけありますな!」
「ふふふ。そうですね。さすがです」
揚げ足を取るようにして、照れる先輩をみたくて彼を揶揄していたはずなのに、一瞬照れる素振りをみせただけで後はいつもどおり。先輩のオタク節を披露される。彼らしくて愛おしくて、その気持がくすぐったくて、こみ上げる幸福感をこらえきれずに声が弾む。
「嘘。すこし賭けだった」
急に勢いをなくした瞳に、心臓がきゅっと締め付けられる。呼吸があまくしびれる。
「だから嬉しいんだよ。ついつい見ちゃうわけ」
奥からこみ上げてきたあまさ。黄金色の瞳がとろけてしまいそうで、そこの糖度は蜂蜜以上のようだった。その瞳から向けられる視線はもちろんあまったるい。どろりとわたしを絡め取って、思考を支配してしまう。
目尻をゆるめた仕草が、愛おしげで。それを向けられているのがわたしだと思うと、体中が沸騰する。
「しばらく我慢して」
伸びてきた先輩の指先が肌に触れた瞬間。今度はわたしがどこを見ていればいいかわからなくて、視線が泳いでしまった。