BridgeOfStardust

希望が散って、愛が咲く

※花吐き病
< 序章 >
書庫へ書籍を片付けた帰り。中庭を抜けて、執務室の前を通って玄関先へと向かう道中だった。
執務室の障子が空いていたことに、意識を奪われる。吸い寄せられるように視線を向けた先には、もちろん主がいた。
今日の近侍とにこやかに談笑する姿に、胸が高鳴る。そして次いで訪れる嘔吐感。

「ッゴホ……!ガハッ……!」

迫り上がってくる苦しさに、反射的に咽る。喉に何かが詰まる苦しさに、生理的な涙が滲む。
押し出すような咳と共に、零れ落ちたのはチューリップの花弁だった――





< 第一章 >
時々咳き込む姿を見かける燭台切を気にかけているけれど、わたしの視線からは逃げるようにして姿を隠してしまう。
どうしたものか。
視線を感じてその先を辿ってみれば、そっぽを向いた燭台切がいるから、嫌われているわけではないのだと思うけれど。
親縁の男士たちに訪ねてみても、はぐらかされるばかり。

「燭台切ぃ~? いる?」

こればかりは単刀直入に問いただすしかないと、腹を決めた。咳がなにか悪いものだったら、先延ばしにしたことを後悔することになる。
彼を訪ねて、伊達刀の集まる部屋へと足を伸ばす。
ガタ、ゴト、と物音が聞こえる部屋。

「開けるよ?」

障子戸に手を開けて、深い黄色が視界に広がった。

「あ、主、これは、違って」
「チューリップ?」

畳の一角を埋めていた黄色い花弁は庭にも植えてあるチューリップだった。深い黄色のものは庭にはないし、もう季節ではないことには首を傾げるけれど。でもとてもきれいな深い黄色だった。

「あ、うん……」
「燭台切の目とお揃いの色だね。きれい」

燭台切の顔がくしゃくしゃに歪んだ。どうしてそんな顔をするのか、そんな疑問は彼が突然咳き込んでうずくまったことで掻き消される。慌てて駆け寄って、背中に触れたところで、驚愕に目を見開くことになる。







< 第二章 >
どれだけ、主の言葉に心が震えたことか。歓喜と哀傷が同時に溢れて心を埋め尽くす。
主の前だ。そう頭では理解しているのに、生理的衝動は抑え込めるはずもなく。酷く咳き込めば、喉につかえた花弁が口から吐き出されて、畳を埋める黄色が増えた。

「燭台切……これ、」

僕の鼓膜を揺らしたのは、驚きと戸惑いをたっぷりと含んだ主の声だった。
サァー、と血の気が引いていく。見られた。知られてしまった。

「あ……これは、大したことじゃなくて……」
「どうして黙っていたの!」
「本当に大したことじゃないから、」

お願いだから追求しないでほしい。僕の心にこれ以上踏み込まないでほしい。もうきっとこれ以上は僕は耐えられないから。花弁に押しつぶされて、喉が詰まってしまうから。どうか、僕の心に触れないで。

「政府に報告して原因調べてもらわなきゃ」

主のやさしさが、今はただ苦しい。この症状が治ることはないとわかっているから。むしろ主に原因を知られたくはない。同情の愛なんて、僕は欲しくない。

「本当に大丈夫だから!」

咄嗟に飛び出した防衛本能。大きな声に驚いた主は、目を丸めて動揺をあらわにした。主を傷つけたかもしれない、その事実が僕の心が痛む理由にもなって、再び咳き込んでしまった。
君が、どうしようもないほど好きだから。僕のことを愛せないのなら、僕のことは見ないでほしい。






< 第三章 >
政府からのメールの受信に、心臓が跳ねる。添付ファイルのついたそれは、先日依頼した調査についての報告だと思われる。

『本当に大丈夫だから!』と悲痛に声を歪めた燭台切はそう言っていたけれど、咳き込んで花弁を吐き出すなんて正常ではない。大切な男士に異常が起きていると知って、看過できる主になった覚えもない。だから執務室に戻ったあとに、即座に政府に調査依頼をしたのだ。

「主、顔色悪いよ?疲れたんなら休もうよ」
「大丈夫。政府からのメールがきただけ」
「ふぅん?」

クリックひとつ。添付ファイルを開く勇気がなくて、よほど思い詰めた顔をしていたらしい。
近侍用のテーブルからじっとわたしを見つめる緋色の目。この目に隠し事ができた試しがないことをわかっていながら、嘘をつく。大事な初期刀にまで嘘をついたんだから、勇気を持って確認しなくては。
カチ。微かな音を立てて、開いたファイル。明朝体のお硬い文章がツラツラと並んでいるけれど、小難しい内容のそれは脳を滑っていく。

「……え、」


―― 症状:花吐き症候群
―― 治療法:該当なし、完治する者も稀にあり


聞いたことのない症状名は安直なものだと思った次の瞬間絶望が肩を叩く。治療法がない、なんて、思ってなかった。漠然と小判がかかりそうだなあ、と思っていた程度。それもまた任務をたくさんこなせばいいだけだと。
慌てて食い入るようにファイルを読み直していく。でも、何度読み返しても治療法の記載はなく、むしろ読み進めていけば、悪化すれば折れると書かれていた。
そして……

「え、ちょっと、どうしたの!?」
「清光~どうしよう……」

発症の原因は恋煩いと書かれていた。バグが生じるほどの強い恋心を、燭台切は誰かに抱いている。しかも報われないと思って、必死にその想いをひた隠しにしようとしている。それほど彼に想われるというのはどんな心地なんだろうか。
そう考えたら視界が滲んで、慌てた様子の清光が駆け寄ってきた。
理由もわからず、ワンワンと泣きわめくわたしを宥めながら清光が、わたしのデバイスを覗き込んだ。

「あーね……なんで拗れるかなあ……」







< 第四章 >
子供のようにワンワンと泣きわめき、取り乱した。宥めるようにずっと傍にいてくれた清光には多大なる迷惑をかけてしまった。いい歳にもなって、理由もわからず醜態を晒すとは思ってもみなかっただけに、恥ずかしい。
スンスン、と鼻を鳴らしている間も清光は隣で背中を擦ってくれている。顔を上げるに上げられない。

「落ち着いた?」
「う、うん。突然泣いたりしてごめん……」
「なにがしんどかったのか自覚ある?」

赤い瞳がやわらかくわたしを見守る。声色もまるくて、あたたかい。
だから責められている感じは一切しなくて、自然と心の防御も下がる。ゆっくり自分と向き合って、清光の問いかけに対する答えを探す。

「なにが、っていうか、燭台切にすごく好きな人がいて……、それが理由で病気で……って思ったらなんかもう、いっぱいいっぱいで……」
「そっか」

あの瞬間心のなかに墨汁を垂らしたように、ショックが心を蝕んだ。じんわりと時間をかけて広がっていくそれに、心が苦しくて、切なくて、悲しくて、涙の制御ができなくなった。

「燭台切じゃなくてもそうなった?」

おだやかな声と角のない表情で首を傾げる清光に、眉間のシワが寄る。

「俺でもそうなった?」
「なるよ!」
「その病気が両思いで治るとしても?」

ガツン、と頭を殴られた気がした。
政府からの報告書では治療法はないと記載されていた。手入れをしても、小判を積んでも治らないと打ちひしがれたのに、治る可能性が目の前に急浮上した。
希望なのか絶望なのか判断はつかない。

「……治るの?」
「うん。刀剣男士の中ではある程度知られてる病気だからね」
「治るんだ……」

それならばどうして政府が把握していないのか、一縷の疑問は残る。けれど、こんな場面で清光は嘘をつかないだろう。
ということは、燭台切は想い人と通じあえれば、あの苦しみから開放される。ただ病気が治るだけではなくて、両想いにもなれるということ。

「もう一回聞くけどさ。俺でもそうなった?」

清光に好きな人がいたら……。病気の有無に関わらず応援していただろう。いろんな手立てを考えて、嬉々として成就に力を貸す。
だけど、いまわたしは、燭台切に対して同じ行動ができずにいる。

「わたし……燭台切のこと、好きなんだ……」

すとん、とお腹に落ちた答え。それは理解してしまえば、案外あっさりと受け入れることができた。

「燭台切に伝えてきなよ」
「でも……、」
「主が勇気を出すことを示してあげればさ、格好つけの燭台切は同じように勇気を出すしかなくない?」
「……そうだけど」
「大丈夫。俺を信じて」

手を引かれて椅子から立ち上がる。玉砕覚悟の告白なんてしたくない。
それでも、あんまりに清光の目がやさしいから、背中を押されてしまう。


燭台切、きみのために主は勇気を出すよ。








< 第五章 >
部屋に引きこもることが増えてしまった。外を歩けば僕の目は無意識のうちに主を見つめて、耳は主の声を拾う。そして、彼の前で笑う彼女を見たくなかった。彼の名前を朗らかに呼ぶ声を聞きたくなかった。
ゴホゴホと咳き込めば、喉から黄色い花弁が押し出される。これが通称花吐き病だってことは分かっている。だからこれが完治する日は来ないだろう。

「燭台切、」

思わず息を呑む。数日ぶりにきいた主の声は、どこか強張っていた。
あの日、あんなふうに突き放してしまったから、嫌われてしまったかもしれない。そう思うと、また息苦しさが込み上げて咳き込んでしまった。

「どうしたの」
「少し話がしたい」

無視をするわけにもいかず、だからといって歓迎の体制も取れず。恐る恐る障子をあければ、緊張した面持ちの主が僕を見上げた。
その瞳がすごく真剣な色をしていて、拒否することは叶わない。
仕方がなく、縁側に2人並んで座った。こうやって並んで時間を過ごすのは随分と久しぶりな気がした。

「燭台切に伝えたいことがある」

ああ、潮時か。諦めが広がる。

「……刀解、かな?こんなんじゃ格好つかないどころか、任務遂行も怪しいもんね」

いっそ、そのほうがいいとさえ思える。
その決断を重く捉えないでほしくて、笑顔を貼り付けるけれど、失敗して苦笑いになってしまった。彼女はなにも悪くないんだから、責任を感じて欲しくない。ただ、僕の心が彼女を求めて焦がれてしまっただけなんだから。

「何言ってんの!ばか!」

声を荒げた主は、大粒の涙をぼろぼろと零している。

「え、ごめん。主、泣かないで」

咄嗟に涙を拭おうとした手を引っ込める。力強く握ったせいで、手袋がギュウ、と悲鳴をあげた。

「僕、きみに泣かれるとどうしようもなくなるんだ」

行き場を失って迷子になった手を力なく下ろす。
苦しくて、また咳き込みそうになるのを喉に力を入れて堪える。僕に主を慰める権利があればよかったのに。

「わたしは、燭台切が好きなの、だから……刀解なんてしないし、元気になってほしいよ……」

涙に濡れた声は震えていた。
耳を疑う。都合のいい捉え方をしてしまう。主はそんなつもりじゃないかもしれないのに。

「まって……主が好きなのは加州くんじゃないの?」
「違う。わたしが好きなのは君だよ」

ゴホゴホと嫌な咳がでる。吐き出されたのは見慣れない色の花弁。根本が赤く、先が黄色いグラデーションになったそれを見つめて、固まる。
主の言葉が信じられないわけじゃない。でもそれ以上にこの身に起きている現象が真実を物語る。

「そんなに嫌、だった?」

震える彼女の声に、胸が詰まる。
抑えつけてきた愛おしさが溢れてやまない。好きで好きでたまらなく好きだ。

「そうじゃない。僕も君が好きだ。君が僕のすべてだよ」

もう一度、咳き込んだときにこぼれたのは真っ赤なチューリップの花だった。それ以降、嫌な咳が出ることはなくなった。



872さんに懇願されてTwitterで連載してた……大変だった……