BridgeOfStardust

名前を呼ばれた夏

<第一話:アイスの味は思い出せない>




暑い、と独り文句を零しながら辿り着いたオアシス。肌寒いくらいにエアコンが効いた空間に、夜とはいえ熱の溜まった身体が歓喜の声をあげる。



「ミョウジさんじゃん」


勉強のお供にするお菓子と、お兄ちゃんに頼まれた雑誌と、お母さんに頼まれた牛乳をレジまで持っていくところだった。クラスメイトの木葉くんが、ハーフパンツに部活のTシャツ姿で店内に入ってきた。
密かに人気の彼はとてもフランクに接してくれるけれど、逆にそのやさしさが泥濘になりそうなのが怖くて遠くから眺めるだけの存在になっている。



「木葉くんは部活帰り?」
「そ。ミョウジさんは?」
「お母さんとお兄ちゃんにパシられた」
「うわ、カワイソー」


隣に立った木葉くんからはシトラスとミントの香りがした。さわやかな彼らしい制汗剤のチョイスに、なるほど見た目と性格だけではなく、センスまでいいのかと内心感嘆した。



「お遣い終わり?」
「うん。レジするところ」
「ちょっと待っててよ」


それだけ残して店内の奥へと進んでいく木葉くんの大きな背中を見送って、やっとレジを済ませる。
白のビニール袋をぶら下げて、逡巡。待っているように言われたけれど、どうしたものか。無視してしまうのは、明日教室で顔を合わせたときに気まずい気がする。
仕方がなく、自動ドアが反応しないギリギリのところで木葉くんを待たせてもらうことにした。



「お待たせ。送るわ」
「え!いいよ。家近いから」
「でももう八時過ぎじゃん。危ないって」


お兄ちゃんに聞かせてやりたい。
隣に並んで歩き始めてしまった木葉くんを横目で盗み見る。買ったばかりのアイスバーを齧る。横顔の整った輪郭を汗が伝う姿すら様になるんだから彼の人気が、毎年ジワジワと上がり続けているわけだ。
人よりも少しだけ小さい瞳がこちらを向いた。ぱちり、と絡んでしまった視線を慌てて前に向けるけれど、彼の視線がわたしに向いたままの気配を感じる。
じっとりと湿気と熱気を孕んだ空気が、わたしたちの間を通り抜けていく。



「一口食う?」
「うぇ!」
「新作うまいよ」


はにかんでアイスバーをわたしが食べやすい高さに差し出してくれる。
これは、どういう状況だ。軽いパニック症状を起こすわたしとは反対に木葉くんはどこまでもいつもどおり。なんの裏もなく、なんにも気にしてない。それがズルいし、悔しいし、慣れているみたいでちょっぴり悲しい。



「……じゃあ、ひとくち、」


アイスバーの端っこを齧るだけ。それだけなのに、小さくあけた口から心臓が飛び出しそう。
口の中に広がる冷たさ。ゆったりと溶けて広がるクリームの食感。だけど全く味がしない。辛うじて鼻に抜けた香りから苺の風味だけは伝わったけど、甘いのか酸味があるのかさっぱりだ。



「うまくね?」
「うん、おいしいね」


とっくに沈んだはずの太陽みたいにキラキラとした笑顔を向けるもんだから、頷くことしかできない。汗で湿ってしまった前髪を直すふりをして、視界を遮りながら、一生懸命平常心を呼び戻す。
こんな胸の高鳴りになんて気づきたくなかった。眺めているだけで良かったのに。








<第二話:きみも自分もわからない>

自分のくじ運を呪うべきか、祝うべきか。
体育祭実行委員のくじ引きに負けた。面倒この上ない。最初にわたしの名前が黒板に書かれたときの絶望感。
その隣にもうひとりの実行委員、木葉くんの名前が書かれた途端、心臓が喜びの舞を踊りだした。
木葉くんがバレー部のレギュラーということを考慮したら、わたしの負担は当初よりも倍増する。だけど、木葉くんと一緒の時間が作れるのは、すごく貴重で、あれ以来彼のことを明確に意識してしまっているわたしにとってはビッグチャンスだ。



「ほんっと、ごめん!」


綺麗に両手をあわせて、頭を下げる木葉くん。実行委員のミーティングは、普段昼休みに組まれることが大半だけど、急遽、放課後に組まれてしまった。もちろん木葉くんは部活があるわけで。



「種目の申請するだけみたいだし。ひとりで大丈夫だよ」
「なんか決まったら明日教えて。あと、お礼に購買でなんか奢るな」
「木葉~! リレーアンカーやってよ」


申し訳無さそうにしつつも、賑やかに種目決めをしているクラスメイトの中心で彼を呼んでいる女生徒に振り返る。眉尻を垂らして困ったように笑いながら去っていく木葉くんを見送ってため息をひとつ。
誰にでもああいうやさしさを見せるから、愚かなわたしは勘違いしそうになる。
今だってそう。クラスの中心にいるようなかわいい女の子は彼を気安く呼んで、彼に触れる。それを拒絶するようなことはせず、それでいてやんわりと距離を取り直す。その間も笑顔を絶やさずに、メンバーに意識を配っている。
彼の優しさは誰にでも向けられる。わたしが特別なわけじゃない。あの笑顔は誰にでも向けられる。みんな平等。
わかっている。そう自分に必死に言い聞かせても、心はわからず屋だ。ひたすらに痛みを訴えて、彼の特別になりたいと喚く。
こんな身勝手なのに、彼女たちと違って積極的に関わりを持とうともしない自分に辟易する。



「ミョウジさん、この種目って男子何人だっけ?」
「えっと……」


教卓のところで、ぼうっとクラスを眺めていたわたしのもとに木葉くんが戻って来る。手元のノートに視線を落として、効かれた内容について確認する。
隣に並んだ木葉くんもノートを覗くせいで、随分と距離が近い気がする。彼の香水なのか制汗剤なのかわからないけれど、さわやかな匂いを吸い込んでしまった脳が真っ白になる。



「さ、3人」
「だってさ。だから俺は出れませーん。ね、ミョウジさん」
「えー!」


湧き上がる不満に肩身を縮こまらせる。隣の木葉くんはなんてことはなさそうで、笑顔をひとつ浮かべた。



「決まった人からミョウジさんに報告な~。終わらないと放課後延長線だぞー!」


木葉くんがわからない。思わせぶりなやさしさを向けないでほしい。わたしはどんどんキミのことを好きになってしまうんだから。クラスメイトと笑っている木葉くんを盗み見て、痛む胸を押さえた。











<第三話:愛の鳴き方を知った>

ジリジリ……ジリジリ……。ツクツクオーシツクツクオーシ。
夕暮れ時のグラウンドの片隅は、蝉のライブ会場だ。必死に求愛の声を上げている。



「やっと終わったなー」
「そうだね」


無事に体育祭が閉幕し、この片付けを持ってして、実行員の役目は満了となる。
そうすれば、木葉くんと一緒に過ごす時間はグッと減る。というか、もとに戻ると言ったほうが正しいかもしれないけれど。
もう何をしていても気づけば目で彼を追いかけてしまうし、気づけば彼のことばかり考えてしまう。一言に一喜一憂して、すっかり恋する乙女だ。



「ちょっと寂しいかも」


へらりと、ゆるく笑った木葉くんに心臓がギュッと潰れる。呼吸が浅くなるような感覚。
蝉が愛を求めて泣き叫ぶ気持ちが少しわかる気がした。耐えられない。溢れてしまう。



「好き……って言ったら困るよ、ね?」


思わず口をついて出た言葉を濁すように疑問に変える。ゆっくりと振り返った木葉くんの表情は西陽が差して、朱色がかかる。



「……困んねーけど?」


そうか、困らないんだ。きっと木葉くんは好意を寄せられ慣れているんだ。
ここまできたら言ったも同然。どうせ一緒にいる時間が減るなら避けられても同じことだ。



「好きです」


勢いに任せた愛の叫び。夏の熱っぽい空気にはすぐに馴染んでしまう。
木葉くんは、眩しさに目を眇めたわりに、その目尻はやわらかい。



「俺も好きです。付き合ってくれますか」


思考が固まる。返ってきたのは求愛の言葉。
時間をかけて現実を受け止める。額を伝った汗が、顎の縁に落ちていく。
じわりと、視界が滲んだ。



「ナマエ」


わたしの名前はこんな響きだっただろうか。好き、という言葉を使わなくても、こんなに恋が色づく音があるのかと知った。



「やっとだ」


くしゃくしゃに表情をゆるめて笑った木葉くんが、わたしの手を握る。汗ばんだ感触なのに、不快ではなくてむしろ実感を与えてくれる。
その瞬間、十年後も、二十年後もこの夏は色褪せないと確信した。たとえ、木葉くんと別れていても、夏になるたびにこの夏を懐古して青春に浸るんだろう。



Twitterでのぷち連載でした!秋紀は陽キャだと思うんだよね