<第一話:雨と傘と大型犬?>
ビニール傘が無数の雨粒に濡れて、照明が反射して世界は煌めく。大小の水溜りを避けながら、少しぬかるんだ校庭を進んで帰路へと向かう。
「二口風邪引くなよー!」
「じゃあ傘寄越せ!」
「やだね!」
騒がしい声に視線を体育館の方へ向ければ、目立つ茶髪がひとりこちらに向かって走ってくる。この雨の中、傘も差さずに濡れるのは一応我が校バレー部の新主将だろう。
「二口くん、傘は?」
鎌先のところによく顔を出している子だから面識は辛うじてある。パチリと絡み合った視線は真っすぐで、あんな口ぶりだったりするけど、この子は存外素直な子なのだろう。
「忘れました!」
「使う?」
持っていた傘を傾ける。ひとまずその中へと滑り込んできた彼にとっては低い位置にあるらしく、身体を丸めたせいで結局下半身は傘の外だ。
「先輩どうするんですか」
「わたし折り畳み持ってるから」
「じゃあ借りていいっすか?明日返します」
人懐っこい笑みに、頷きを返す。こういうところが鎌先とかが、可愛がりたくなる所以なんだろうと思い至る。
二口くんに傘を渡して、スクールバックから折り畳み傘を取り出す間、少し高い位置に移動した傘の中で雨の煌めきを感じていた。
「あざっす!ついでなんでバス停まで送りますよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
些細なきっかけだったと思う。もう一本傘を持っていて、顔見知りの子が濡れていて、おまけにビニール傘だ。何気なく貸した、ただそれだけだった。
「傘のお礼に飯食いません?」
「先輩、今日もバスっすか?送りますよ」
「髪型違うんですね」
「……茂庭くん、きみの後輩どうなってる?」
突然好感度がカンストされても、どう対応していいのかわからない。茂庭くんも苦笑いをして肩を竦めるだけだ。こんな大型犬みたいなタイプではないと思っていたのに。どうしてこうなった。
<第二話:メロンパンと優しさと大型犬?>
「二口くんって、意外と犬っぽいんだね」
眉をハの字に曲げて苦笑いをこぼす先輩。
犬っぽいっていうのは、コガネガワみたいな奴のことを言うんだと思う。俺は忠実な部分も人懐っこい部分も持ち合わせていない。
だから、あまり腑に落ちない。けれど、先輩も今までは俺に犬のイメージは持っていなかったから、『意外と』という冠をつけて話し始めたんだろう。
イメージが定着仕掛けてしまった原因はわかっている。
傘を忘れた日をきっかけに、ここ一週間強の間、先輩に構い倒しているからだ。
「どっちかって言うと猫って言われっけど」
「わたしもそのイメージあったんだけどね~」
相変わらず苦笑いを浮かべる先輩は、俺が買ってきたばかりのメロンパンに齧り付く。小さな口の端にクッキー生地をくっつけている。
「鎌先とかには挑発半分って感じたもんね」
「ひっでー!挑発なんかしてないっすよ」
冗談めかして、わざとオーバーリアクション気味に返せば、ハの字を解いてケラケラと笑う先輩に、俺の目尻もゆるむ。
遠くから見ているだけしかできなかった人が、今はこんなに近くで笑っている。科も部活も違う、女の先輩なんて、早々接点がない。ずっと盗み見ていた先輩が、俺の名前を知っていたことに驚いたし、やさしさを分け与えてくれるなんて。こんなチャンスを逃すわけにはいかない。
鎌先さんに揶揄われるのも我慢して、なりふり構わず押して押して押しまくっている。
「で、せーんぱい。そろそろ俺とデートしてくれる気になりました?」
最初こそ逃げられていたけれど、今週に入ってからは諦めてくれたのかなんとか見向きはしてくれるようになった。
購買に顔を出していた先輩を限定メロンパンで釣って、一緒に昼飯を食ってくれるくらいには距離が縮まったんだからそろそろお許しがでてもいいのではないか。
「なりませーん」
先輩が一瞬眉を潜めたのは気のせいだろうか。すぐに艷やかに笑い飛ばした彼女は、ぺろりとメロンパンの屑を舐め取った。
「うわ。弄ばれた」
「弄んでもいません」
「じゃあ、せめて部活見に来てくださいよ。今週練習試合なんで、応援してほしいっす」
じっと、俺を見つめる先輩に、どきりと心臓がなる。なにかを探るように、抜け落ちた表情で俺をとらえる。
「いいよ。本屋に参考書買いに行くついでだからね」
熱心に見つめた割に、あっさりと視線をメロンパンに向けた先輩が考えていることを読み取れなくて、喜びと不安が綯い交ぜになる。少しくらい振り向いてくれてもいいのに。
<第三話:応援と素直さと仔犬>
二口くんにすっかり懐かれた。傘を貸す、ただそれだけの行為が、一体彼のどの琴線に触れたのかわからないけれど、きっかけは間違いなくあれだ。
ただ、その「懐く」という状態が、彼のどんな感情によるものなのか図りかねている。
あの上背に、細身な割にしっかりついた筋肉によるスタイルの良さ、整った顔立ちと悪戯な笑みが似合うところ、案外気の回る甘え上手でからかい上手な気質。どれもモテる要素であり、実際に数少ない女生徒からの彼の人気は聞き及んでいる。
だからこそ、真意がわからないのだ。まるでわたしのことが好きみたいな言動をするけれど、それは友情や先輩への好意としてなのかもしれない。
一生懸命防御線を張っているのに、それを軽々踏み越えてくる二口くんに、わたしの内心はめちゃくちゃだ。『弄ばれた』と彼は言うけれど、わたしのほうがよっぽど『弄ばれている』気がしてならない。
「先輩!どうっすか?」
邪魔にならないようにキャットウォークからコートを見下ろしていたわたしに近づいてきた二口くんは、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべている。
「かっこよかったよ」
本当にかっこよかった。キラキラと眩しい笑顔で、ギラギラと鋭い眼差しで、バレーに一生懸命な姿にしっかりと心臓を掴まれた。
わたしの言葉にいっそうにんまりと笑った二口くん。素直になるのが悔しくて、すぐさま口を開く。
「青根くん」
一気に笑顔を崩して、ぎゅっと眉を寄せた二口くんはズンズンと歩み寄ってわたしとの距離を埋めた。
「先輩、それはダメっしょ」
わたしを見下ろした目は鋭いようで弱々しい。捨てられた仔犬みたいだ。急にそんな顔をされるとバツが悪くて、視線が逃げ出してしまう。
「嘘ではないもん」
「じゃあ俺は?」
大きな身体を丸めてわたしの顔を覗き込む二口くんの顔は真剣だ。バレーボールに向いていた眼差しが、今わたしに向けられている。
「二口くんはズルいんだね」
「ずるくてもなんでもいいんだよ。先輩が俺のこと好きになって振り向いてくれんなら」
この真っ直ぐさを信じていいのだろうか。バレーへの真剣さと同じなら、わたしも素直になっていいのだろうか。
「もう振り向いているよ……」
ぱちくりと、目を丸めて瞬きを繰り返した二口くん。
「まじ?嘘じゃねえ?」
「うん」
「まじか……」
崩れてしゃがみ込んでしまった二口くんは大きな手で顔を覆ってそっぽを向いた。はみ出た部分の肌は赤く染まっている。
「……二口くん顔真っ赤」
「こっち見んな」
思ったよりもずっと純粋な反応をみせる彼に、わたしの選択はあっていたのだと安堵する。それならもっと正直に気持ちを伝えたらどうなるだろうか。
彼のおかげで小さな勇気が湧き出した。
「ねえ、二口くん。好きです」
キュウ、と瞳を絞ったと思えば、どろりと溶け出した熱量。ゆるむ口元を隠そうともせずに、二口くんの手がわたしへと伸びてきた。
「俺も好き」