元々、近くにいるようで遠い人だった。しゃん、と背筋を伸ばしてどこか遠くを見つめて全身全霊で歌声を届ける姿に惚れて、憧れて、追いかけた。
付き合えたことが奇跡だと思ったけれど、存外愛情深くて、ヤキモチ焼きで、一生懸命愛してくれる。
「エータ、そばにいて」
「ん。大丈夫だから」
緊張で震える彼女の手を両手で覆うようにして握りしめる。すこしだけひんやりとした指先に熱を分け与える。
励ましたい。羨ましい。頑張ってほしい。悔しい。成功してほしい。見ていたくない。
相反する気持ちが俺の中で波として寄せては返す。そうして、古傷を刺激する。高校三年のときにも似たような感情を抱えて過ごしていた。思い出したくないし、それらを昇華するために初めた音楽活動だったのに。
「どうする? 袖にいようか?」
「ううん。大丈夫」
顔面蒼白で、とても大丈夫と言えない彼女は、ゆっくりと俺が握ったままの手に額を寄せた。
祈りにも似た行為を眺めて、高校の後輩もこれくらい可愛げがあれば、傷の深さは変わったのだろうかと一瞬考えたけれど、どちらにせよ変わらなかったと思う。バレーに賭けていた分の傷だから。
「エータには、客席で聞いてほしい」
ゆっくりと頭を持ち上げた彼女の顔は、もうアーティストのスイッチが入っていた。これからバンドを従えて、ひとりでステージに立つ。彼女の歌を待つファンの前で一時間半、魂を込めて音楽を奏でる。
ワンマンライブの最初のステージ。先を越された悔しさは隠しきれないけれど、彼女のファンの一人としては誇らしい。
「それじゃあもう行くけど」
ゆるやかに手を解く。冷たかった指先には熱が戻っていた。きっとライブが終わる頃には高揚して、発熱しているくらいだろう。
「ありがとう。見守ってて」
「ちゃんと聞いてっから」
上演時間が迫ったバッグは慌ただしくスタッフが行き交っていた。邪魔にならないようにスルスルと抜けて、はやくも熱気が満ちている客席に足を踏み入れる。
興奮が滲むざわめきは、こちらの気分も高まらせる。願望に輝く瞳に期待が膨らむ。
甲高いギターの音が鳴り響いて、明転。スポットライトをステージの中央で浴びた彼女と視線が交わる。
「このライブは、誰よりも支えてくれた恋人に捧げます」
会場ごと湧き上がる。凄まじい熱量が生き物のようにうねって彼女の歌に力を与えていた。
誇らしい。でもやっぱり、羨ましい。