「先輩!」
よく聞き馴染んだ声がわたしの足を止める。弾む声色のおかげで、顔を見る前からもう脳裏に満面の笑みが浮かんでいた。
「すきです」
駆け寄ってきた後輩は、幻影の尻尾を千切れんばかりに振って目をキラキラと輝かせてそう告げる。きゅるきゅるの瞳と煌めく表情はかわいいのに、頭一つ分以上高いところからわたしを見下ろす部活の後輩。
「まだだめですか?」
それなのに、わたしを見つめる視線は上目遣いなのだから、そんじょそこらの女子よりもあざとい。
「まだっていうか……」
「諦めないですから」
キリッと表情を引き締めたツトムは、力強く頷くとまた駆け出して行ってしまった。わたしの発言なんて聞き入れない押しの強さに呆れつつも、歩く足を再開させる。
一個下の後輩たちは、どことなく素っ気ないというか、距離を感じる。それに比べてウンと、人懐っこいからついつい可愛がっていたら、いつの間にか愛を告げる子犬が完成していた。
諦めは悪いようだけど、しつこくはないし、悪質なところもないので、放置している。
「先輩……」
眉尻も尻尾も垂らして、とぼとぼと歩み寄ってくるツトムの姿は非常に珍しい。白布あたりに叱られでもしたのだろうかと首を傾げる。
「告白されたって本当ですか」
「どっから聞いてくるの?」
人の心配を他所に、前日に起こった珍しい出来事を拾い上げてきたことに驚愕する。わたしの口からは誰にも伝えていないの、どこからツトムのもとへと流れ着いたのか。
「本当なんだ。断りましたよね?」
元凶が知りたいというのに、人の話を聞かないところは健在。捨てられた子犬がぷるぷると震えながら、わたしの顔色を窺っている。
「当然でしょ」
「ですよね!」
しょんぼりと萎れた様子は一転。途端に表情を煌めかせて、はにかむのだから、少しくらいかわいいと思ってしまうのはしょうがない。
些細なことで一喜一憂をするほど、わたしのことを好いてくれているというのは、存外悪いものではない。むしろ一層可愛がりたい気持ちが増すもんだ。
「せんぱーい!」
「はいはい」
裏庭から大きな声で呼ぶ声に、仕方なく歩み寄ってみる。しゃがみ込んでいるツトムは目線よりはるか下にいるのに、それでも大きく感じた。
「見てください!懐きました!」
「すごいじゃん」
ツトムの影に隠れていた赤茶色の縞模様が入った猫は、度々校内に侵入している姿が見られる子だった。人の多い学校という場所に忍び込んで来る割には、警戒心が強いようで、誰かに懐いているという話は聞いたことがなかった。
けれど、眼下で転がってツトムによって撫でられて尻尾をゆらりゆらりと揺らす様子は、すっかりと懐いているように見える。
「先輩は?」
先輩は猫に懐かれていますか、の意味か。それとも先輩は懐いてくれましたか、の意味か。
逡巡してみる。どちらの意味で解釈して返答するのがこの場に適切か。ツトムなりの優しさで逃げ道を用意してくれている可能性もある。
それでも毎日欠かさず等身大の愛情を表現してくれている彼に返せるものがあるなら一歩踏み込んでみるのも勇気かもしれない。
「うーん、絆されたかも」
「ですよね。……うぇ!?」
ツトムの大声に驚いた猫は体を弾けさせて、そのまま一目散に姿を消してしまった。
元から丸い目が大きく見開かれたことによって、零れ落ちそうなほどくりくりとまあるくなった。 そのうえで白黒と反転させて、パニック気味のツトムは言葉をそれ以上紡げないらしく、口を開閉させて意味のない音を零すだけ。
「ツトムに絆されたよ」
だから丁寧に言葉にする。誤解が生まれないように、ツトムが与えてくれた愛で育ったそれをしっかりと口にする。
「好きってことですか!」
「そうだね」
きっと今までのどの笑顔よりも満開のそれが見れると思っていたいのに、溢れだしたのは大粒の雫。ぼろぼろと瞳から溢れ出すそれに、今度はわたしが驚く番だった。
「え~泣くんかーい」
思わず苦笑いが滲んでしまった。
簡単には止まりそうにない涙を乱雑に袖で拭うツトムの横にしゃがんでみた。視線が近づいて、瞳が揺れているのがよく見えた。
「嬉しくて……先輩。好きです」
震える声で絞り出された愛は、ふたりの間の空気をあたためてくれる。
濡れたまつ毛が煌めいて、泣き笑いを浮かべるツトムがさらに愛おしく思わせる。
「わたしも好きだよ」
だから腕を伸ばして、サラサラの前髪を撫でつけてあげる。たっぷりの好きを込めて、少しくらい彼に愛情を返せるようにと。