「英太くん」
そうやって俺のことを呼ぶ声が一番好きだ。他人にあまい部分が多いけれど、すべてを受容するわけではない。揺るがない一本の芯が通っていて、そこだけは絶対に誰にも譲らない。そんなところが俺に似ている気がして、親近感が湧く。年上ぶることもないけれど、寄り添ってくれる懐と愛情は深い。
「元気?」
「元気だよ。ナマエさんは?」
やわらかい視線なのに、俺の中を探る。必死になって隠している感情を引きずり出されないように、拳を握りしめる。誰にも見せるわけにはいかない俺の弱さ。悔恨と呼ぶにはまだやれることがあり、挫折と呼ぶには心はまだコートにある。憤りと虚しさと遣る瀬なさが混ざりあった、嫉妬は遺憾というのが一番近いのだろうか。
ずっと渦巻いている。誰かに知ってほしい気持ちと、誰にも悟られたくない気持ちが寄せては返す。
「嘘つき。元気じゃないって顔してるよ」
じっとりと熱気を孕んだ風が肌を撫でて駆けていく。時間を間違えた蝉がひっそりと淋しく番を求める夕闇の奥で、彼女は困ったように眉尻を下げて笑った。
「そんなことないって」
「言いたくないならそれでいいけど、無理はしないでね」
冬場は冷たく冷え切る指先は熱く、握りしめたはずの俺の指がほどかれて絡まる。
心も絡め取って引きずり出されそうな、恋しい熱。汗ばんだ手のひらを拭いたいのに、この手を離すのは惜しい。
「部活、続けるんだね」
インターハイの結果はまずまず。強豪としてのチームのプライドは誇示できた。春高に向けて新チームの体制を整える高校もあり、白鳥沢でも若干名の三年生が引退を決めたけれど、主力は全員残ることに決めていた。
それは、久方ぶりに会う彼女の耳にも自然と届いていたらしい。
「まあ。他にやりたいこと無いし」
「いいと思うよ。英太くんの成績ならうちの大学なんて余裕でしょ」
「だといいけど」
髪色を染めてパーマをかけて、ピアスをあけて。先に大人びていく彼女に、燻るものが増していく。ちょっとそっけない口調になってしまった気がして、かっこつかないのを誤魔化すように、繋がれた指先に力を込める。
すりすりとネイルが施された指先が俺の手の甲を撫でる。
「英太くん。わたし、応援してるからね」
何を、とあえて何も言わないところがすき。俺が大好きな声色で、名前を読んでくれるところが愛おしい。
「……ん、ありがと」
結局、どれだけ格好つけても一歳という年齢差を埋めることができなくて、少し悔しい。でもそういうところも含めて、彼女が好きで、彼女の存在が俺を掬い上げてくれる。
「なあ、次いつ会える?」
だから、こんな部活終わりの刹那の逢瀬じゃ足りない。全然足りない。今までは学校でいくらでも会えたんだからなおさら。
「英太くんの部活お休みの日」
「じゃあ再来週の日曜」
食い気味に伝えれば、小刻みに空気をやわらかく揺らす。
「デートしてくれる?」
「いいよ」
意図してか、無意識か。こうやって俺に華を持たせてくれるところも好きだ。
だから、少しくらい、弱音を知ってほしい気持ちが勝る。
「あのさ、やっぱしんどいわ」
「そうだよね。ぎゅってする?」
繋いでいない方の腕を広げた彼女を引き寄せて、抱きしめる。暑いけれど、隙間なく抱きしめて、首筋に顔を埋める。
ちょっぴり心が軽くなった気がした。
「でも辞めないから」
「うん。見てるからね」