今日も一ミリも変わらず、労働は極悪。出社も地獄。ため息を零して現実逃避をしながら、出勤中だと脳が気づかないうちに会社へと向かう。
せめてもの抵抗で、通い詰めてるコーヒースタンドで癒やしを入手するべく、自動ドアを潜った。
眠そうな重たい瞼で伏し目を作っていたいつもの彼はカウンターの中でドリンクを作っていた。黒のハイネックセーターが似合うと見惚れていたら、視線をあげてわたしを認識すると営業スマイルでお出迎えしてくれた。気恥ずかしくて会釈だけして逃げた視線の先でレジに立っているのは見かけない顔のスタッフさんだった。でも笑顔はさわやかで、色素の薄い髪の割に軽薄さを感じない。これはこのコーヒースタンドのブランドマジックなのか、新顔くんの素質なのか。
「熱めのモカラテをシロップ多めで、コンパウンドクリームミルクとリストレットのエスプレッソに変更でお願いします」
いつもどおり、今日の気分にあうドリンクをオーダーする。今日は出社前から残業が確定しているし、随分と冷え込んだ朝だからあったかいココア風味のラテをオーダーする。すこしカロリーオーバーな気がするけど、残業へのご褒美だ。良しとしよう。
指先を擦り合わせて冷えた手をあたためる。
「ホイップが乗っているドリンクは元々熱めでお作りしていますが、さらに熱めでお作りしますか?」
「あ、お姉さんは九十度で作るから」
わたしが返事をするより先に、横から顔をのぞかせた彼が新顔くんに指示を出す。わたしを認知していないスタッフさんであれば決まり文句の言葉だから不快感もなく、当然のこととして受け入れるつもりだったのに。
彼が覚えていて、わたしの希望がスムーズに通るように配慮してくれたのが嬉しくて頬がゆるむ。やっぱりここはわたしの癒しスポットだ。
「ありがとうございます。それで」
「今日もありがとうございます」
ちいさく目尻を下げた彼は、すぐドリンク作りを再開させてしまった。
その間にレジ打ちを終えた新顔くんがカップにオーダーのシールを貼り付けて、九十度の指定をさらに追記していた。
「あ、レシート処分してください」
「かしこまりました。ではこちらのミルク変更の札だけお持ち頂いてカウンター前でお待ちください」
「ありがとうございます」
渡された札を持って、列に並ぶ。新作発売日の前日というタイミングの問題なのか、先客は少なくてすぐにカウンター前はわたしひとりになった。
わたしの面倒なオーダーでもテキパキと効率よくドリンクを作る手元を見つめる。全般的に物覚えがいいのだろう。
「あまいの好きなんですね」
急に話しかけてきた声は淡々と落ち着いていた。普段の声のトーンも抑揚が少なく鼓膜をやさしく震わせる音をしているのだと思う。おやすみASMRに向いてそうだ。
「仕事で頭のエネルギー使うんで」
「ああ。なるほど」
カップに蓋をつけて、蓋が外れないことを確認している。短い癒やしの時間は終了だ。
カウンターにできたてほやほやのドリンクが提供され、極悪非道の勤務のお供としてカップを受け取った。
「じゃあ、いってらっしゃい。今日もがんばってください」
「いってきます」
おだやかな声に背中を押されて、寒空の下へ進み出る。さて、気持ちがあたたまっている間にサクサク朝の業務を片付けてしまうのが吉。
会社への道のりを足早に進んだ。
「あ、クマちゃんいつの間に」
コートをハンガーラックに吊るして、戻ってきてようやくカップの蓋の上部に描かれた丸いクマに気づく。あれ以来、時々例の彼が描いてくれるようになったそれは、今日は蓋に描かれていた。一緒に描かれているのは四つ葉のクローバーだろうか。
こんなところにも癒やしを届けてくれるなんて。
「ふふふ、目が合う」
ドリンクを飲む度に視界に入るその子。それに付随して思い出す彼のこと。今日も労働を生き抜く糧にさせてもらおう。