気に入ったものに対しての愛情は恐ろしいくらいに直向きで、深海よりも深いということは知っていたつもりだった。自分のパーソナルスペースへ踏み込むことを許した相手には情が深いことも知っていたつもりだった。ただその大半はバレーボールに向けられるもの。
それがまさかこんなことになるなんて、わたしは侑への理解が全然足りていなかったらしい。
「なあ、好きや」
「あっそう」
「今日もツレナイ態度やなぁ」
カウンター席の隣に、わたしの断りなく座った侑を一瞥する。上半身をだらりと溶けさせて、カウンターの上で組んだ両腕に頭を預けてわたしを見上げていた。
「それ食うたら、店替えようや」
どうして当然のようにわたしが着いていくと思っているのか。甚だ疑問でならない。
実はニュースになっていないだけで、交通事故にでもあって頭を強打して記憶が抜け落ちているのかもしれない。なんて何度もありえもしない可能性について思考を巡らせて、無駄なエネルギーを使ってきた。
「あのさあ、わたしたち今他人だって何度言えば理解するの?」
「なんぼ言われてもできん」
「いい加減理解して」
「絶対いやや」
太い眉頭を寄せて形の良い唇を尖らせる侑を横目に、パスタを食べ続ける。
半年前に大喧嘩の末に別れたはずの男は、三ヶ月前からわたしにつきまとっている。好きや、付き合うて、戻ってき、色んな言葉を口にして、よりを戻そうと奮闘しているらしい。
それならどうして三ヶ月も放置していたのか。いい加減至るところに現れる侑に痺れを切らしたので、治くんに訪ねてみたのだ。最初の一ヶ月は侑も怒りが収まらず、次の一ヶ月は戻ってくると信じて落ち着きなく過ごし、最後の一ヶ月は凹みに凹んでポンコツと化し、誰の入れ知恵かわからないままだけど、三ヶ月前から行く先々に現れるようになったとのこと。
付き合ってたときは別れるつもりはなかったので、お気に入りのお店にも侑と一緒に行っていたので、行く可能性がある場所がバレているのは仕方がない。新規開拓をしてみても逃げ続けることはできずに、結局は隣で侑が愛を語る。
「わたしだって嫌です」
「なんでや。謝ったやん」
「わたしだって悪かったからそれは許したけど、それとこれとは別」
喧嘩の原因自体は侑にあった。ただ今まで惚れた弱みで多くを堪えていたわたしが大噴火を起こして、喧嘩は激化してしまった。拗れた原因はわたしにだってあった。
なんだかんだ言いながらも侑のことが嫌いになったわけではないけれど、よりを戻すという決断はそう簡単に下せない。だってまた全部許しちゃうから。八つ当たりを受けたって、馬鹿に巻き込まれたって、スキャンダルが浮上したって、侑が隣にいてくれるならなんだって許してしまいたくなるわたしが嫌なんだ。
対等じゃない関係は歪で、いつかまた大きな亀裂になる。そのとき侑のことを嫌いになりたくないし、侑に嫌われたくもない。今ならお互い嫌いになることなく、好きだった気持ちを思い出にできるはずなのに。
「嘘ちゃう。ほんまに大切にする」
身体を起こした侑が、ゆっくりとわたしへと腕を伸ばしてきた。服の端っこを摘んで侑らしくないしおらしい表情を覗かせる。
「おらんと無理なんやて」
ぐらりと決意がゆれる。整った顔で捨てられた仔犬みたいな顔をするのは卑怯だ。しまいには弱々しい声なんか出して。
頷いてしまいそうになる身体を必死に制御して、深く息を吸い込んでゆっくりと吐き出した。
「……それは侑の事情でしょ。わたしの気持ちは?」
「そやけど……嫌やもん。お前が他の男のとこ行くなんて。気が狂いそうになんねん」
しわくちゃになった顔は情けない男の顔だ。いつも自身に満ち溢れていて、気の強い侑が身内の前だけで見せる情けない姿。
それは愛おしくて、わたしの心臓を直に掴んでいく。
「お前は平気なん? 俺が他の女に靡いても」
侑さえその気になれば一瞬で新しい恋人ができる。それだけ彼の周りには素敵な女性が溢れていて、それがもどかしくもある。
想像なんて別れた今でもしたくない。
「……やだ」
どうせ誰かと付き合うなら、わたしが侑を吹っ切れてからにしてほしい。それでもきっと心に小さなキズを負うのが目に見えてるのに、今そんなことになったら致命傷い至ってしまう。
「せやろ? ならもっかい付き合うて。後悔させへんから」
「本当に後悔させない?」
「絶対させん」
まっすぐにわたしを見つめる瞳はバレーに向けるそれと酷似している。けれどあんな純粋な色はしていなくて、もっと深い熱量が籠もっている。
「今回だけだから」
「おん。もう二度と手放さんから安心せえ」
服から離れた侑の手がわたしの左手を握り込む。近寄ってきた顔はわたしの頬にキスを落として満足そうにゆるめられた。結局この表情が特等席で見られるならいいかと思ってしまう自分は大馬鹿者だと思う。それでも特等席を誰かに譲る勇気なんてないのだから仕方がない。