あのときは確かに「永遠」を信じていたし、「ずっと」を確信していた。
世界が色付いて輝いて見える。それくらいしあわせで、心が満たされる日々で。ずっとずっと彼の隣にいるものだと思っていた。
今思えば、なんと幼い恋愛だったのか。「永遠」なんてものは存在しないし、「ずっと」というほどの努力もしていない恋愛は、呆気なく崩壊してしまった。別に嫌いになったわけではないし、嫌われていたわけでもないと思う。単純に精神的にまだまだ子供だっただけ。
「え、」
カフェでぼんやりと休日の昼下がりを溶かしていたら、空いていた目の前の席に突然座った人物に驚き、目を見開く。カフェの外を歩いていた若いカップルをみて思い出したばかりの人が、以前の面影を残しながらも大人の顔つきになって座っている。
「あー……久しぶりだな」
付き合っていた頃よりも短くなった襟足の髪を撫でつけて視線を泳がせる。不器用な性格はあまり変わってなさそうで、気まずさが緩和する。
「うん。元気?」
「ぼちぼち。そっちは?」
別れた以来の再会で過去の距離感がいまいち思い出すことができないけれど、そもそもなんで別れたかも記憶が朧気だ。地元で就職をしつつ社会人バレーを続けた堅治と、上京して大学進学したわたしたちは、若さ特有の不安を抱えて喧嘩を拗らせたのがトドメだったのは覚えている。あのとき巨大な不安に押し潰されていて、会えない時間が不安を肥大化させていく一方で。身勝手で、相手を思いやれない幼い恋愛だった。
だけど、喧嘩の理由はなんだったのか思い出すことができない。今では考えられないしょうもない理由だったということだ。
思い出の人を前に、ぽつぽつと記憶のフィルムが捲られる。
「それなりに」
「ふーん」
頬杖をついて目尻を細めた堅治は見た目こそ大人になったものの、声の調子とか仕草はあの頃のまま。そういえば、高校一年の秋にあった学園祭のときに告白されて、四年目の記念日を迎えるより前に別れたんだっけ。
「聞いたくせに興味ないじゃん」
「そんなことねえけど」
不貞腐れると唇を尖らせる癖も健在らしい。ちょこんと尖ったそれが可愛いと思うのは、過去の情だろうか。
別れてから付き合っていた期間と同じくらいの月日が流れた。最初の一週間は毎日のように泣いて塞ぎ込んでいたのは印象に残っているのに、何をきっかけに吹っ切れたのかすらも覚えていない。都合の悪い部分ばかり忘れている。楽しかった時間だけが色鮮やかに残っていて、あのとき抱えた不安の影は薄らいでいる。
それだけ過去として、前に進んでこれた証拠なのかもしれない。
「こっち戻ってきてんの?」
「だいぶ前にね」
就職と同時に戻ってきたので、もう二年以上経った。生まれ育った街はやはり落ち着く。
東京の狭い場所にぎっちぎっちに犇めいて、眠ることもなく、賑やかな街も悪くはなかった。世界が広がったし、自分がちっぽけだとも知った。ただ忙しない空気に知らず知らずのうちに心が消耗しているのにも気づいていたから、社会人として摩耗する日々を送るのには向いていないと思ったのだ。
「なんで教えてくんねえの」
「なんでって……」
じっとりとわたしを睨む瞳と尖った唇。あからさまに拗ねてみせる堅治に、逆に問いたい。どうして教えると思っていたのか。わたしたちはとっくに別れて、友人どころか知り合いへと関係性を変えたのに、地元に戻る報告をわざわざする理由がわたしには見当たらない。
「俺のとこにも戻ってこいよ」
「何言ってんの、」
「それとも他に男でもできた?」
カップに刺さったストローを弄んでいたわたしの左手をサッと堅治の視線が絡まる。薬指は長らく空席のまま。
今更隠してもしょうがないけれど、手を引っ込めて机の下に隠すことにした。
「いないよ」
いまは、と心のなかで訂正する。一応ふたりほどお付き合いをさせてもらったけれど、堅治とのように長くは続かなかった。それを教えるのは不思議と癪で、口にすることはしない。
目全体を細めた堅治がにんまりと唇で弧を描いて笑った。自信満々で強気なそれも付き合ってた頃のまま。
この笑みに弱かったな。あまりに強かなせいで、最初から勝てないように思えて早々に折れてしまうことが多かった。そうすると無邪気にはにかむから、その笑顔でチャラにできちゃうくらい盲目的に好きだった。わたしのすべてだと思いこんでいた。
「じゃあいいじゃん」
「ほんと自分勝手。そういうところだよ」
「でも好きだったじゃん。そういうとこが」
「……口が減らないのも変わってない」
そうか、この男。あれらは全部分かっていてやっていたのか。今になって明かされた真相に唖然と堅治を見つめる。
わたしの視線に反応した栗色の瞳が、わたしを見据えて内側を探っていった。
「そっちだって素直じゃないとこ変わってねえだろ」
ますます深まる笑みに、忘れていたときめきが蘇る。ぎゅう、と呼吸を締め付けて甘く痺れた吐息がかすれる。
「俺、気持ちも変わってねえから」
「ほんっと……そういうとこ」
散々笑っていたくせに、ここぞというときは真剣な顔つきになる。捕食者のような鋭いのに、情熱的な力強い視線に理性的な思考は絡め取られてしまう。
このまま流れに身を任せてもいいかもしれない、なんて考える。遠距離ではなくなったし、お互い社会人というステージも同じで、あの時よりは大人になった。不安の誤魔化し方も、打ち明け方も、わがままの加減も、マシになっているはずだ。今度こそ、ずっとが有り得るかもしれない。
「このあと予定は?」
時間を溶かしていただけ。予定がないと伝えて、堅治を喜ばせるのはなんか悔しい。わたしばかりが振り回されている現状を打破し、すこしくらい揺さぶってやりたい。
「デート」
途端に顔を顰める堅治に内心してやったりだ。口を開こうとするのを遮って、覗き込むようにして顔を見上げる。
「誘ってくれるんでしょ?」
目を丸めたかと思えば、一気に脱力して大きなため息を絞り出した堅治に大笑いした。
「いいよ。ドライブしようぜ」
そう言って立ち上がった堅治を合図に、残っていたドリンクをズゾゾゾっと飲み干した。わたしたちの関係が再び交じりあって走り出す。
道が分かれることがないように、ときに歩みをゆるめて、立ち止まって、今度こそずっと一緒にいられるようにいけますように。