※「縋り付いたのは――」の前日譚
自分が吸血鬼と呼ばれる存在であることを自覚したのは中学生になったときだ。両親は普通の人間だったけれど、顔を見たことがないけれど母方の祖父がそうだったらしい。
世の中的に世界人口の二から三パーセントは吸血鬼と呼ばれる特殊な人種であり、珍しくはあるものの周知されたその存在に対して、各国での法整備はすでに為されている。せめてこの時代に生まれたことは救いだ。二昔前なら吸血鬼狩りだなんだと命を脅かされ、迫害を受けていたのだから。
昔話や童話とは異なり、いくつかの世代交代というDNAの変化により、太陽の下に出るのもシルバーに触れることもできるようになったし、普通の食事だって食べられる。見た目はほとんど変わらず、少し犬歯が鋭い程度。構成的には、一日あたり二リットル程度の血液を摂取すればいい。今は血液パックだって売られているから、吸血行為なんて野蛮なことはしなくていい。あとはちょっと鼻がきくくらいか。汗も涙も元々は血液であり、その匂いに敏感なことを除けば、ごくごく普通の学生生活を遅れている。
「あきくん、ごめんね~」
「いいよ。二人でやったほうが早いだろ」
高校生になって初めての彼女だってできた。
部活がオフの日に放課後デートを約束していたのに、担任に雑用を押し付けられた彼女を手伝うべく、隣の机をくっつけて横並びになってプリントの山に手を伸ばす。椅子の距離はこっそり近めにしたおかげで、時々彼女の腕がふれるたびに口元がニヤける。
花のような香りと砂糖菓子みたいな香りが混ざる彼女の隣は、少し空腹を訴える。けれど、それよりも胸のあたたかくなる感覚が心地よくて、ときめいて、好きが募らせていくのがずっと良くていつまでも隣にいたくなる。
「いたっ」
「っ、」
小さな悲鳴の直後、ぶわりと彼女の匂いが濃くなる。判断能力に霞をかけてしまうその香りに息を呑み、ガタガタと音を荒立てて椅子から立ち上がって距離を保つ。
全身から警鐘が鳴る。
「あきく、ん?」
戸惑いを含んだ彼女の声。押さえた指先から、滲む赤。
「……ハッ、」
溢れた息は熱い。あの赤に噛みつきたい衝動が次から次へと湧き上がる。
こんなの初めてだった。部員の顔面にボールが直撃して鼻血が出たときだって、ここまで体内が暴れ狂う衝動に駆られたことはない。ちょっと食欲を刺激される匂いに、鼻にシワが寄って喉が乾くくらい。噛みつきたいなんて思ったこと、一度もなかったのに。
いまはどうしようもなく、目の前の彼女に噛みつきたくて仕方がない。この世のなによりも美味しそうに見える、ぷっくりと浮き出た赤い珠。のどが渇いて仕方がない。
溢れ出す唾液を飲み込んで、無意識下で舌なめずりする。
「ごめん、俺、吸血鬼なんだ」
「あ。ごめんなさい」
「ちょっと、離れてくれればいいから」
噛みつかないように片手で口元を覆って衝動を抑える。心臓がバクバクと音を立てて、体内で暴れている。
「あきくん」
「おい、離れろって」
それなのに、あろうことか彼女は立ち上がって俺に近寄ろうとする。
「いいよ」
慌てて静止をかける俺のことなんて気にかけず差し出された指先。一センチメートルにも満たない小さな切り傷から溢れた血液から目が離せなくなる。思考が飲み込まれる。
「クソッ」
そのまま指にしゃぶりついて、小さな傷口を舌で抉る。ちうちうと血液を吸い上げていけば、脳が悦楽に痺れる。
「吸血鬼でもあきくんが好きだよ」
形容する言葉がわからない多幸感に満たされる。俺は心も本能も彼女の虜らしい。