短いけれど密度の高いまつ毛をゆっくりとはためかせる。スローモーションに見えたその視界で、瞬きに合わせて雫が一粒こぼれ落ちた。
頬を伝っていくその滴が涙だと脳が理解した瞬間、驚愕が身体を走り抜ける。
追随する複数の涙に、あの飛雄が泣いていることに頭が真っ白になった。今まで飛雄が泣いている姿なんて一度も見たことがなかった。試合に負けても表面張力いっぱいに悔しさをにじませることはあったけど歯を食いしばって負けた己を睨みつけるだけだった。仲間に嫌厭される日々が続いても水面を波立たせるだけで眉根を寄せて深く考え込むだけだった。
それなのに、今目の前にいる飛雄はどうだろうか。瞳にたんと蓄えた水分を次から次にハラハラと零し続けている。
「飛雄、泣かないで」
「な、泣いてねえ」
俯いて顔を隠そうとするその拍子に溢れた涙がフローリングに小さな水たまりを作る。
「ゼッテーイヤだ」
「ええ……そんなこと言われても……」
美羽ちゃんのときは無関心だったのに。どうしてわたしのときはこんなことになってしまったのか。
シスコンの傾向は特になかった、と思う。美羽ちゃんがバレーを辞めたときも、彼氏を作ったときも、専門学校に通うために実家を出たときも、飛雄の表情に変化はなかった。のっぺりと平常心を貼り付けた顔で、あまり興味を示さなかった。
「でも飛雄だって高校卒業したらきっと実家出ていくよ?」
飛雄のバレーボールの才能は宮城県に収まらない。日本にだって収まらない。遅かれ早かれ、彼は世界へと羽ばたいていく。そんな火を見るより明らかな未来。
「まだ出ていかない」
「今すぐに、って話じゃなくて……」
「スカウトもまだきてない」
飛雄の腕が伸びてきてわたしの腕を掴む。手入れの行き届いた大きな手。縋るような手つきのくせに力強くて困る。高校二年にもなって、姉にあまえているのって世間的にどうなんだろう。
「家にいろよ」
「毎日実家からは通えないよ。ね?」
頑なに来年度からのわたしの一人暮らしに拒否の姿勢を示す飛雄。顔を覗き込んで、幼い子供のように話しかける。
「月に一度は帰って来るから」
「少ねえ」
まだ涙の滲むまつ毛を震わせる。不貞腐れて尖った唇がかわいい。
とびっきり姉弟仲がいいわけではないけれど、反抗期なんて知らない真っ直ぐな飛雄を可愛がってしまうのは、影山家の姉の宿命。美羽ちゃんも飛雄を構いたがるし、なんだかんだ甘いから。わたしだけのせいじゃない。
「飛雄も遊びにきていいから」
「毎週行く」
「部活があるでしょ」
何を差し置いても飛雄が大好きなバレーボール。進化し続ける新しいチーム。飛雄を奮い立たせるライバル。
それが一瞬でも頭からすっぽ抜けてしまうなんて。そんなこと、飛雄が泣いてしまった以上に珍しいんじゃないだろうか。
「……」
「飛雄。大丈夫。ずっと応援してるから。試合も今までどおり観に行くよ」
「絶対だからな」
「うん」
渋々といった様子を隠しもしない。でもしっかりと約束を取り付けるようにわたしを見据える視線は、どこまでも真っ直ぐだ。
いつまでも変わらないでいてほしい。高校を卒業しても、その先の道でも、真っ直ぐで純粋で、ときどき間抜けなところがあって、そんなかわいくて自慢の弟でい続けて。
「わかった」
「ん、いい子」
ごしごしと乱雑に目元を拭った飛雄の頭を撫でる。さらりと遊んだ毛先は飛雄の性格に似て真っ直ぐだ。