「あの、白布くん……」
「なんだよ」
「なんだよ、じゃなくて。あの、見すぎ、です」
追いかけて捕まえた。掴んだ腕をそのままに、空き教室へと連れ込んだ。
向こうは俺のことを知っているらしく、泣き腫らした目を反らして、困惑を顕にしていた。まあ正直、俺のほうも自分の行動と感情に困惑しているけれど。
「ん、ほら」
「え、いいよ。大丈夫」
ポケットからハンカチを取り出して差し出すと、顔の前で両手を振られた。もう一度手を掴んで、その手に無理矢理に押し付けると、彼女の眉は中央にぎゅっと寄った。
「それよりも、放っておいてもらえると嬉しいんだけど」
その選択肢は彼女を追いかけた時点で無くなっている。今までの流れから「はい、そうですか」と教室を出ていく人間はいないだろう。そんな簡単な答えも導き出せないのだろうか。
「なあ、なんで泣いてたんだよ」
「ねえ?わたしの話を聞く気はありますか?」
質問に対して、質問が返ってくる。それに対して、今度は俺が眉間にシワを寄せる番だった。要望を聞くつもりは微塵もないけれど、話を聞くつもりがあるから尋ねているというのに、彼女と言えば手渡したハンカチにシワが寄せただけだった。
俺と彼女の間に、沈黙が流れること数十秒。
「……彼氏の、浮気現場を見ちゃったの」
表情を歪めて、零した言葉は予想していた範囲の中で一番悪い内容だった。
「うわ、最悪だな」
「そう、なの……」
じわじわとこみ上げてくる水面。小刻みに震える声。表面張力の限界に突破すると、瞬きに合わせて頬へと溢れ出す。大粒の雨粒がいくつも溢れて、制服にシミを作る。
泣き顔なのか、溢れる雫なのか、どちらに惹かれているのかわからないけれど、やっぱり綺麗だと思う。堪えきれない感情を瞳いっぱいに溜めて、身を焦がす姿に見惚れてしまう。
嗚咽が溢れだしたとき、ようやく我に返る。こんなとき、どうしたらいいのか慰める術を知らない。
「殴ってきたか?」
「……逃げて、きちゃった、」
ふるふると、小さく首を横にふる。その拍子に弾けて左右に散った涙が、綺麗で、こみ上げる何かを飲み込んだ。
「だめだろ、一発くらい殴ってこなきゃ」
「ふふ、白布くんって、おっかないんだね」
刹那に目を丸めた彼女は、少しだけ目尻をゆるめる。まだ涙の色が残る声で、ささやかに笑う姿は儚い。薄氷のような脆い心理状況で、絞り出された笑みは、間違いなく俺に向けられている。
「だって、お前はそれ以上に傷ついてるんだろ」
「……すごく悲しい」
すぐに崩れ去った笑みは、跡形もなく涙に押し流される。ハンカチを奪い返して、できるだけやさしい力で目尻に押しつけた。
「そうだね。ビンタくらいすればよかったかも」
「早く忘れろよ」
「忘れられたらいいな」
俺と彼女、その理由は異なるけれど、一刻も早くその男のことを彼女の頭から消し去りたい。そうしたら、俺がもう一歩踏み込めるから。