BridgeOfStardust

試合はまだ始まらない

「ねえ、サッカー部興味ない?」

 キラキラとした眼差しで、興奮に上ずった声で、話しかけられたのが初対面だった。
 一年の初夏に行われた球技大会。所属部活と同じ競技には出られなくて、たまたま人数が足りなそうなサッカーを選んだ。良くも悪くも器用貧乏なだけあって、サッカーだってそこそここなせる。それなりの活躍を見せて、二年生のクラスとの試合で勝利を収めた直後。駆け寄ってきた彼女がそう俺に声をかけた。

「あーっと……、一応俺バレー部員だから」
「バレー部かー。残念!」

 あんまりにも期待に満ちた眼差しを向けられて、一刀両断することに躊躇いながら答えたけれど、彼女はあっけらかんとしたトーンの声とともに肩をすくめただけだった。

「次も頑張って!じゃあ」

 嵐のような子。もう俺から興味を失って女子のグループの下へと駆けて行ってしまうのだから。真っ直ぐで、捕らわれないところが木兎に少し似ている。
 後々に知ったのは、同じ一年生でサッカー部のマネージャーだということ。それもかなりの敏腕マネージャーらしい。一年にして監督のサポートにつけるほどのサッカーIQの持ち主らしい。  二年に上がって同じクラスになったときは、ふたりで思わず固まった。あれ以来関わりがなかったけれど、強烈な印象を与えたミョウジさんのことははっきりと覚えていた。彼女もまた、興味を失ったように見えて俺のことを覚えていたらしい。
 あの日と同等か、それ以上の煌めきをした視線が俺を見上げる。一歩踏み込んだ彼女から香る人工的なシャボンの香りと、結びグセが残る髪の毛に、きっと今朝も部活に参加してきたことが窺えた。

「木葉くん、今年の球技大会もサッカーやるよね?」
「開口一番がそれかよ」

 予想以上というかなんというか。どことなく、うちのエースを思い出させる真っ直ぐさ。
 腹からこみ上げてくる愉快な気持ちを誤魔化すことなく、空気をゆらせば、恥ずかしそうに瞼を伏せた彼女は一歩退いた。さきほどの溌剌さが足早に隠れてしまった彼女は、視線を彷徨わせた後指先で毛先を遊ぶ。

「つい、ごめん。木葉くん、一年よろしくね?」
「こっちこそ。ミョウジさん」

 あの新緑の隙間から煌めく日差しのような表情と、今見せている恥ずかしげな少女の顔とのギャップに何かが落ちる音が聞こえたのが、懐かしく思える。
 あれは確実に俺が恋に落ちた瞬間だったと、今なら言える。
 けれど、噂以上にサッカー馬鹿だったミョウジの最優先はサッカーであり、サッカー部だった。脇目も振らず、自身のすべてをサッカーに注ぐ直向きさに惚れ直してしまった以上、それに嫉妬する俺が情けなく思った。
 授業終わりの号令のあと、筆記用具の片付けもそこそこにミョウジの前の席へと座る。

「ミョウジはさ、付き合うならやっぱサッカー部?」
「急にどうしたし」

 彼女の机の上に広げたルーズリーフ。三限目の日本史の板書の隅に書き込まれた、パスワークのメモについつい頬が緩む。いつだって彼女の一番はサッカーなので、ぽっと出の誰かに奪われる心配はない。

「や~、さっきも熱心にグラウンド見てたし?」
「いや~下手だったね。びっくりしちゃった、ショボいパス。自分でシュートしろっての」

 ずっと頬杖をついて、窓越しにグランドを見つめていたミョウジ。斜め後方からだと表情はわからなかったけれど、きっと一組のサッカー部員のプレーを目で追っていたに違いない。ずっと視線の先にいた誰かわからない男が心底うらやましい。
 わざとらしく怒ってみせたミョウジがへらりと表情を崩して、机の上を片付けはじめる。次の数学の教科書を机に出した彼女の手がとまる。

「で?」
「んー、サッカー部はないな」

 数秒の間を挟んだ答えは、予想が外れていた。ここまでサッカー一筋なら、きっとエース級の部員の名前があがるのものだと思っていた。驚きと安堵が入り交じる。ぐるりと腹の中で混ざった奇妙な感情のまま、口を開く。

「そうなんだ?」
「だって喧嘩しちゃうじゃん」

 肩を竦めた彼女。視線でその先を促せば、眉尻を下げて瞼を伏せたミョウジの視線が逃げる。

「選手は選手なりのプライドとかスタイルとかコンディションがあるわけじゃん? 木葉だってあるでしょ?」
「そうだな」

 これだけバレーに没頭していればもちろんある。口ですべてを説明することは難しいけれど、矜持もあれば、個性も波もあるのは間違いがない。それはどのスポーツにおいても、本気で競技をやってる人間には共通して言えることだと言える。

「わたしはそこに口を出しちゃうから」
「あー、なるほどな」

 競技に精通し、分析能力もあれば、サポート能力もある。そうすれば自ずと見えてしまうものが出てきて、改善を求めてしまうのだろう。好きだからこそ、無視ができない。言いたいことはわからないでもない。

「だからサッカーやってる人だけはない」

 きっぱりとした芯のある声での断言。それは競争相手がごそっと排除された宣言。
 肩の力が抜けた。ずっと不安だったから。

「でも、サッカーができる人だといいな。一緒に観れたほうが楽しいもん」

 ふくふくと笑うミョウジの目尻も頬もゆるむ。その未来図に描かれている男は誰だろうか。
 俺だったらいいのに。俺なら球技大会の試合の待ち時間に盛り上がったように一緒に観戦してやれるから。薄らでもいいし、一瞬でもいいから俺を描いてくれよ。
 そんな言葉が勢い余って口から出ないように、深く酸素を吸い込む。

「そうだ、五限応援するね」

 別のクラスがサッカーだったのなら、うちのクラスの五限目の体育もサッカーだろう。
 ミョウジが応援してくれることが嬉しくて、うっかり口元がゆるむ。けれどあからさまに喜んでしまえば、さすがの彼女でも勘づくかもしれない。

「お前は女子の授業に集中しろよ」
「まあまあ」

 へらりと笑うミョウジの表情はやわらかいままで、その事実に胸がきゅうと小さな悲鳴をあげた。
 部活第一だから、バレーの応援には来てくれない。そんなミョウジが俺を応援する貴重な機会。他の男なんて目に入らないほど俺に釘付けになってほしい。

「ちゃんと見てろよ。かっこいいとこ見せてやる」
「きゃ~さすが木葉!」

 両手を叩いて賑やかしく俺を持て囃すミョウジは楽しそう。間違いなく今彼女の頭の中を占めているのは俺のプレーなわけで、そう思うと浮かれそうになる。なんなら調子に乗りそうなくらい。
 誤魔化すように彼女の頭をぐしゃぐしゃに撫でれば、今度は非難の声が上がる。
 今はまだもう少しこのままで。お互い部活を引退しないことにはきっとスタートラインに立てないから。そのとき想いの丈をぶつけて、たっぷり時間をかけた答え合わせをしよう。



好きなスポーツをプレーしてる人とは解釈違いで喧嘩しそうですよねえ