好きです、その一言が言えればどんなに楽だろうか。けれど、絆を失うリスクを賭けてまで伝えるほどの想いかと、臆病風が猛烈な勢いで吹き抜ける。
他の誰かと付き合うなんてことになったら素直に祝福なんてできないのに、告白もできない。ずっと立ち往生して、時間が経てば経つほど色んな表情を見て、色んな思考を知って、好きという感情だけが膨らみ続ける。自惚れじゃなければ、たった一言「好きだ」と言えさえすれば、恋人になれる気がする。声で、仕草で、行動で、好意を寄せてくれる彼女に対して、向き合えないのは失うことが怖いから。
「く~ろ~」
忙しなく駆け回るたびに揺れるポニーテールを眺めていた。吹き出てとまらない汗をタオルで拭いなら、ぼんやりと視線だけで追いかけるのはもはや無意識。くるりとターンした、大きく揺れた毛先の持ち主は、間延びした声をあげる。
「はいはい。どうした」
「そういえば、再来週の練習試合決まったって!」
パタパタと駆け寄ってきてスマホの画面を見せるナマエの声は弾む。それが俺に向けられているのが嬉しい。
くるりとカーブしたまつ毛に、コンタクトレンズで一回り大きくした瞳。そんなことしなくても充分すぎるほどかわいいことは、高校時代から知っている。大学に入った途端、毎日欠かさず化粧を施すのは誰か男のためではありませんように。そう祈らずにはいられないのに、告げることはできない。
「どこ?」
「◯◯大」
「あーね」
「現地集合でいいと思う?」
そんなのダメに決まってる。他の部員が先に到着しているならまだしも、ナマエがひとり先に着いたらと思うと気が気じゃない。だからってダメと言う権利もない。
「どーだろ。お嬢さんが迷子にならないんならいいんじゃない?」
「……自信ないなあ」
チラリ、と俺を窺う視線。そこに含まれた色に期待が膨れ上がりそうになるのを誤魔化すべく、タオルで顔の汗を拭う。
「くろ、」
俺の袖を引く弱い力。一拍、心臓が拍動を強める。思わず口から出そうになる衝動。その状況に肝が冷える焦燥。それらを丸呑みにして、肺に詰まった空気を細く吐き出す。
「ん。一緒に行くか」
「持つべきものはクロだね」
「これからも頼りにしてくださーい」
ずっと頼ってくれていい。恋人じゃなくていい。ただそばにいてくれればいい。あわよくば俺だけを見つめていてほしい。
でも、恋愛感情起伏がある。どんな強い絆でも途切れることはある。ナマエの心が離れていくのを感じるくらいなら、初めから手にしなければいい。
たった一言。されど一言。この想いは口から出てくることはないかもしれない。
「練習再開すんぞーー!」
腹から出した声に色んなものを混ぜ込んだ。体育館に響いた声に小さなざわめきが鎮まる。
そして俺はカチリ、とバレーボールという無心のスイッチを押した。